「公会堂をもっと知ろう会」レポート!(講義編)
「公会堂をもっと知ろう会」が開催されました!
署名活動でも音頭を取った 「米子市公会堂の充実を求める会」が開催し
休日最終日にも関わらず 100名を超える人数が集まり 会場は熱気に包まれました!

講師は・・

京都工芸繊維大学で教授を務める 石田潤一郎氏!
建築にも造詣が深い大学で 建築家村野藤吾研究の第一人者で 著書も多数出版され
村野氏の図面原本も 5万点を保管されているとのこと!
その事実は 言葉の重みとなって現れ なかなか濃い内容の講義でした。

村野藤吾氏は もともとは建築家を目指したのではなく
兵役で出会った仲間に 大学卒が居て刺激を受け 自らも後年大学へと進んだそうです。
しかも もともとは電気学科で大学に入ったのに 途中で建築学科へと移ったとのこと。
このあたり 何がキッカケで人生は華開くか分かりませんね。
で 村野藤吾氏が凄いのは 評価が固まっていない昭和の建築にも関わらず
既に 重要文化財に 以下の3作品が指定されています。
(「未来に渡って残すべき」と認められているということですね!)

まず 宇部市民館!

そして 広島の世界平和記念聖堂!
この建物は コンペでも優秀な作品が集まらず 審査委員をしていた村野氏が
責任を取って? 自ら図面を引いたとのこと。
経緯が経緯だけに 誰にも文句は言わせまいとして かなり試行錯誤が繰り返されたようで
そのことは この作品の残された 膨大な図面や資料からも伺い知れるとのことです。
村野氏の代表作を上げるとすれば?との質問にも この作品は外せないとのことでした!

3点目は 高島屋東京店増築!
人を惹きつけるのが使命の商業建築にあって 村野氏は大衆の心を掴むのが巧かったようです。

それ以外で代表的な作品として 日本生命日比谷ビル(日生劇場)!
大理石貼りで直線基調とした 重厚な概観とは対照的に
ホール内部は 曲線を多用し 天井をあこや貝貼り 壁面はガラスモザイクタイル貼りとした
洞窟を思わせる内部は 村野氏の手工芸的な表現の集大成とも言え
1964年の日本建築学会賞を受賞している!

1958年と 米子市公会堂と同じ時期に建てられた 大阪新歌舞伎座!
建物内部の必要面積が決まっており 敷地との関係から 表層1mでの表現が求められ
通常 ひとつだけの唐破風を 連続して反復使用したのが特徴!
これほどの名建築でも 東京歌舞伎座のように注目されず 保存運動も盛り上がらず
取り壊され立て替えられてしまうとは 日本人の理解に苦しむ部分である。
米子市公会堂を そのようにしてはならない!と強く思うのであった。

村野氏のアンチテーゼあふれる遊び心は 既に卒業設計でも表れており
ギリシャ神殿に見られる柱飾りを 90度回転させて取り付けるなど
様式美を 茶化した風にも取れる試行錯誤を行っていたのであった。

しかし 大衆や依頼主が 荘厳な様式建築から抜け出せず 好んでることも熟知しており
この大阪ビルディングのように 1階部分や壁面上部の目に付く所だけ 大衆受けを狙い
2階より上の 目に付きにくい部分は 合理主義モダニズムを試みる等
試行錯誤をしていたようである。
海外の優れた建築を 精力的に見学し 色々な発想の源としていた村野氏であるが

その中でも ストックホルム市庁舎は 様式美と合理主義の融合が見事で
村野氏の今までの心の葛藤から 自由へと解放されたと思われる代表的なものだそう。

極端な例では ここまで自由にして良いのだ!
との ファン・ネレの曲面を多様した ガラスと鉄の建物・・
そして 米子市公会堂建築へと繋がる ロシアゴシック建築の数々・・



ロシア現地へ赴いて あまりの粗さにガッカリしたそうですが
スケッチ画に見る その近代的ながらも威風堂々とした様は 公共建築のヒントになったようです。
特に 大きく張り出した片持ち式の力強いカンチレバー方式と ガラスブロックの曲線窓は
米子市公会堂にも影響を与えた!ようである。

公会堂のヒントにもなったという こちらの作品は 村野氏にかなり影響を与えたのか

1932年には カンチレバー方式は採用してないが ガラスブロックの窓が特徴の
このような商店建築を完成させている。

米子市公会堂にも その影響は強く現れ カンチレバー方式の客席を内包し
それが そのまま外観の特徴ともなっている!

ガラスブロックの曲面を多用した 非常用の出口が 管理棟屋上に突き出している。


村野氏の真骨頂は 当時の公共建築にありがちな 威厳や荘厳さと決別し
市民との距離を置かずに 親しみやすさや遊びを取り入れたことにある。
それは この宇部市民館でも 七色の支柱や天井飾りにも現れている。


市庁舎とかは そこで式典やイベントも行えるロビーも内包すべき と思っていたようで
横浜市庁舎では 遊び心あふれる傾斜の緩い中央階段や 柔らかく波打つ天井
そして 大きくとったロビーが印象的!


そのような 村野氏の公共建築の 厳しくなく 市民に寄り添うような建築のあり方は
建物単体だけでなく そこへ至るアプローチや前庭(広場)も含めて
市民との関係性 距離感を図っていた!
それは ケーススタディの多様なパターンでも 常にそのことを念頭に置いていたことが
多くの図面から読み取れる ようです。

村野建築の特徴は なかなか一言で言い表せない!と良く言われるが
それは 村野氏独特のバランス感覚のなせる技で あえて反対の要素を取り入れてるから。
荘厳さを求められる建物でありながら どこか親しみ易さを 手工芸的な表現で残してみたり
合理的と思わせておいて 何でこんなに細部に手間をかけるの?
といった 商業建築で養われた 大衆の心理を掴む術に長けていたから・・ のようである。


米子市公会堂は そのような村野作品の中でも ダイナミズムな架構がわかりやすく
内観が外観に現れており 非常にコンセプトが明快で分かりやすい!
それでいながら 柔らかな曲面や 外壁の手工芸的タイル表現など 遊びも多々あり
公共建築の中でも 極めて村野作品らしい類まれな建築である。
また ロシア構成主義の要素を取り入れた 数少ない建築であり その面でも希少性が高い。

等々 延々1時間半もの講演と 10数名30分にもなる活発な質疑応答を含めて
トータル2時間!の講演は終わりを告げたのでした。
米子市公会堂の貴重な価値が分かる 有意義な講演でした。本当にありがとうございました。
では次回 米子市公会堂の見学編へと続きます。つづく・・
by lancista | 2010-07-22 07:32 | YONAGO Public Hall