Raduno Lancia 西日本(ランチア デルタS4 エクステリア編)
先のストラトスは グループ4で公認を得た74年・75年・76年と 3シーズンWRC制覇!
77年もその快進撃は止まらないかに思えたが 政治的判断で親会社のフィアットが押す
フィアット131アバルトへと 取って変わられ77年・78年は131アバルトが制覇する。
ストラトスは実力はあったのに 販売台数に貢献出来ないとされ 終止符を打たされたのだ。
そのフィアット131アバルトも FRでの後輪2輪駆動では 勝てない時代が来ていた。
80年からWRCで解禁された4輪駆動を武器に アウディがライバルとして立ちはだかる。
そこで82年から始まった グループB(たった200台の市販生産台数で良い)に照準を合わせ
ランチア&アバルトは ストラトスを正常進化させたコンベンショナルな2輪駆動
037ラリーを送り出す!
モンテカルロのコックピットに 前後鋼管スペースフレームを接続し
より完成度を増したミッドシップレイアウトと
取り付け位置の変更も可能な 自由度のある4輪Wウィッシュボーンサスペンションと
扱いやすさを兼ね備えたスーパーチャージャー付きコンパクト直4エンジンで
何とか83年のタイトルは奪うことが出来たが ライバルの4駆勢の台頭著しく
84年は アウディ・スポーツ・クワトロが 85年はプジョー205T16に奪い返される!
そのような中 ランチア&アバルトは ミッドシップ4輪駆動で 037譲りのサスペンションに
さらにエンジンをスーパーチャージャーとターボのW加給で どこからでも加速出来
かなりのパワーアップ(最終型は500ps?で サーキットならF1並とも)した
最終兵器 ランチア・デルタ・S4 を送り出すのであった!
で今回のこの車は そのホロモゲーション(公認)の200台生産を果たすための市販モデル!
さらには 世界でも唯一という パールホワイトの外装色をまとった 大変貴重な1台である。
ストラトスや037ラリー(ベータ・モンテカルロ)が市販者販売台数に貢献しなかった反省から
車名も 風貌も 79年にデビューしたデルタに似せてあるが 中身は全くの別物である。
外観だけも 当時のノーマルデルタより 明らかに低く幅広であるが
中身は鋼管スペースフレームが張り巡らされ まさにダートのフォーミュラといった感じ。
その余りに行き過ぎた性能故に グループBモンスターマシンは 多くのクラッシュが続出!
最後は 86年に起きた ランチアの天才エースドライバー ヘンリ・トイボネンの死によって
翌87年からは 市販台数5000台以上と尖がった部分を押さえたグループAへとなり
デルタHF4WDから続く WRC6連覇へと続いていく。
後姿は デルタと同じにしてあるテールランプだが それ以外でも只者でない感がありあり!
次回は そのあたりを探っていくこととしよう・・
by lancista | 2008-05-24 23:11 | Car life & event