私の車遍歴(懲りずにべレット?1500DX編)

前回 激動の半年間(笑)で起こった べレットGTRとの出会いと別れをお伝えしたのだが
事故って廃車になっても 顔に大ケガを負っても 何処か諦めきれずに未練がましい自分が居た。

諦めきれずに ダメもとで整備工場へと運んだ事故車から
真っ赤なG161Wのヘッドカバーを 記念に持ち帰ろうとも思ったりしたが
それを飾る自分を想像できず そのままとしたのを覚えている。

当時 若いために高かった 損害保険の車輛保険になど入っているはずもなく
まして旧車の価値も認められる前の時代 全損で残ったのは べレットのローンのみ(涙)
幸いだったのは 実家に戻って来れたので 生活費が余り掛からないということだけ。

少ない費用で 再出発をするべく 各方面を当たっていると 地元でべレット売りたし情報入手!
見に行ってみると それは初めて目にする マルーンと言うよりは日本語が表記がピッタリな
小豆(あずき)色した昭和の香りたっぷりの 1966年式のべレット1500DX! 

スポーティでお洒落でカワイイ感じもあった 真っ赤なべレGと違って 何このオッサン臭いの!
が第一印象ではあったが 逆に 当時の事故を起こした直後の自分には相応しいとも思い
値段も20万円位と安かったので これに乗ることに決めた!
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しかし・・



ただの オッサン臭いべレットに乗るのはイヤである。

廃車になったべレG-Rの 最も助かって欲しい OH&チューンしたエンジンはお釈迦になったが
幸い ステージⅡのスプリングや コニーのショックは生きており この1500DXに移植した。
カンパのホイールも GTR独特の リア左右を結ぶ3枚リーフの板バネも・・

これ以外にも ワンキャブの円形クリーナーながら エアークリーナーもスポンジタイプに替え
マフラーも 中間からGTRの2本出しエンドまでを移植し 少しは吹けるようになった!

岡山のショップのツーリングにも なるべく顔を出した。
やはり 当時23歳だった私にとって 常連の30~40歳代の先輩方が乗ってた国産旧車達は
キラ星のように輝いており 外車は夢のまた夢としても 国産旧車なら手が届くかもしれない
という夢と現実が離れておらず 近かったのだ!

しかし 1500cc ワンキャブ 68ps に 910kgの車体は重かったようで
ツーリングではいつも置いていかれ ライバルは1000ccのコンパーノとかだった(笑)
スバル1000なんかは 当時出たばかりの ユーノス・ロードスター1600に挑むほど
ウソみたいに速かったのを覚えている!

てなわけで 借金返済の傍ら 有り物流用部品で チープにモディファイを済ませ
一応 形になったところで 当時のレトロカー・ブームも 山陰に遅れて上陸し
町起こしも兼ねて 「山陰クラシックカー・ミーティング」が開かれ参加したのが 1989年秋!
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ミス米子も参加してたとは ビックリですね。
その後 数年は続いたらしいが 私が参加したのはこの年のみ。

それが 月日は流れ 今では自分が(欧州車限定ながら)そのようなクラシックカーの集まりを
幹事役で引き受けてるのも 何かの縁か罪滅ぼしなのか???
詳しくは コチラを参照下さい ↓
昨年行いました!「ユーロ・クラシックカー・ミーティング in 米子2009
今年もやります!「ユーロ・クラシックカー・ミーティング in 米子2010
今年の参加者を 現在募集してますので どんどんご応募下さい。お待ちしています!

当時 知り合った仲間の一人のメカニックに 少し前まで愛車の面倒を見て頂いてた。
国産車から離れてしまったり 高齢になったりで お会いする人達も変わってしまったが
これからも こんな車趣味を介した繋がりも 大事にしていけたらと思う。

しかし いかんせん べレット1500DXでは 走りが物足りない!
足回りを GTR用を移植したものだから 何も起こらない!
パワーに対して シャシーが勝ち過ぎているのだ!
うっぷん晴らしに バイクの90SSで走ったが やはり攻めるには程遠い小型旧車でしかない。

てなわけで 次の車 何か無いかな~などと思っていたところに 岡山のお店からTEL・・
面白い車 入ったよ~! との悪魔の囁き?

では次回 3台目となるべレット1600sports(スポーツ)編をお送りします。つづく・・

by lancista | 2010-02-16 20:20 | Car life & event  

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